ワタクシゴトデスガ

シンプルに生きる術

モノカキになりたい

「文筆に関する仕事をする」

 

何年か前に書いた願い事の一つ。

実現する可能性なんて考えなかった。ただ内から出てくる思いを書き記したものだった。

 

書くことは好き。

でも、感覚だけでずっとやってきているから、迷子になっているのも事実。

 

そして、仕事として、対価をもらってやりたいという思いもあり、方法論的なことをしっかり学んでいくことにした。

 

一粒万倍日に届いた「WEBライティング技能検定講座」

 

モノカキとしての記録を残していきたいと思う。

 

 

 

自分の足で立ちたい

私の中の何となく漠然とした不安の正体が少し見えてきた。それは、「自立できていない」ことが引き起こしている。

 

自分を取り巻く小さな人間関係の中、他者に依存している。そのくせ、思い通りにいかないと、拗ねてみたり、嫌味を言ってみたり。

 

仕事だってそうだ。恵まれている環境であることには変わりない。だけれど、雇われている以上、いつどうなるかわからない。自分の足で立てていないことは、見えない未来への不安をどんどん大きくする。

 

昨今の状況だって、元を正せば同じところへ行き着く。どんなことがあろうとも、自分の力で何とか生きられるという自信やスキル、すなわち自分軸があれば、今感じている不安は幾分か減るのだろうと思う。

 

自給自足。100%でなくてもいい。でも、私に必要なのは、「自分の足でちゃんと立てている」という実感なのだ。

 

 

本音が炙り出される時期なのだ、きっと。

全国の医療現場で不足しているフェイスシールド。これを個人が3Dプリンターを使って製造しているというニュースをいくつか目にした。しかも、子供で。閉塞感しかない毎日だけれど、こんな若者が確かにいてくれるというだけで、未来は少しだけ明るいのではないかと思う。そして、何だか羨ましい。

 

日々のふさぎ込んだ気持ちの原因の一つとしては、この事態解決に対して、ある程度の手応えを持ってできることが何一つないということがある気がする。確かに、外出自粛はしている。けれど、目に見えて効果があるのか実感として湧いてこないのに、流れてくる情報では事態が好転する兆しがあまり見えてこない。この「無力感」こそが、私の心を蝕んでいるのではないかと思い始めた。

 

人それぞれのバランスなのかもしれないけれど、自分と家族の暮らしを整えることが日々の大半を占めながらも、やはりどこかで、世界の何かしらの役に立ちたい。そんな風に思う気持ちがあることも事実なのだ。

 

人のため、自分の特性に合わないことをして、消耗することが多かった今までの働き方を見直したい。

自分のペース、自分の資質を見極めて、できうる範囲で。少しだけでいいから、世界の役に立ちたい。それが私の本音だった。

 

外界との接触を断ち、今までに経験したことのない環境で日々を過ごすことで、自分の本音が少しずつ炙り出されている。今はその充電期間。

 

 

ワタクシゴトデスガ

 

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希望をもつこと

この先、一体どうなってしまうのだろうという未知なる世界への恐怖。私は元から、先先のことがとても気になってしまうタイプの人間であり、この「先が見えない」という状況は想像以上にストレスフルだ。

 

いわゆる内向的人間ということが幸いして、外出自粛の生活自体は苦にならない。むしろ、世間の煩わしいことからある程度の距離を置くことができて、ありがたいとも思う。しかしながら、外からの制限として外出を避けるようにとされる期間が続くと、なかなか気が滅入ってくるものだ。不要不急ではない外出時にも、かなり気を張るし、家の中にいると、どうしてもネガティブな情報に触れてしまったりして、如何にもこうにも塞ぎ込みがちになる。

 

このコロナ感染が収束したとして、その先私は一体何のために生きるのだろうと、ふと思うこともある。これから先の未来、天災や予想もできない自然環境の変化が予想されている中で、何を心の拠り所にして生きていけばいいのだろう。

 

確かに、生活を小さく慎ましく整えていくことの楽しさやよろこびに気づくことはできた。その先は・・・?

 

「私は何のために生きている?」

 

その問いの答えが、はっきりとは見つからない。

 

ただ何となく、ぼんやりと思い浮かぶこと。死を目の前にした時に「いろいろなことがあったけれど、やっぱりこの世界は美しかった」と思いながら、命を終えたい。日々、当たり前の暮らしができることだけでもありがたいと思わなければならないことは重々承知で、何だか逆説的のような気もするけれど、はたまたこんな時だからこそなのか、世界の美しさをきちんと確かに感じながら生きていきたいのだ。

 

どれだけ世間が混乱しようとも、自然は悠然とただそこにある。その流れに身を置かせてもらい、美しさにため息をつく瞬間を持ちたい。

 

この一件が収束したら、あれがやりたい、これがやりたい。そういうことは特別に浮かばないけれど、今過ごしている毎日よりは少し伸びやかに、心穏やかな日々を送りたい。小さく、つつましく、謙虚に。

 

そして、どんな事態になろうと、国や会社が必ずしも助けてくれるとは限らないことを肝に銘じて、できるだけ自分の足で立つことができるような暮らしをしていきたいと思っている。

 

「話す=離す」

久々に、想いを文字に綴ることができて、心が少しだけ軽くなった気がする。アウトプットもまた、私の人生にとって必要なことなのだろう。できるペースで、ひっそりと続けていきたい。

 

 

ワタクシゴトデスガ

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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なぜ家事を時短したいのか、考える

シンプルライフ」「時短家事」。巷にあふれるこのキーワード。覗いてみれば、「人生がラクになる」のだと。それはいい、ラクに生きたいよね。

 

でも、気づいてしまった。ラクするためのシンプルライフ、時短家事のしくみを作ることですら、めんどくさいと思ってしまうことを。あくまで、私の場合・・・ですが。どんだけダメな人間なんだと、本当に情けなくなる。あまりに片付けが苦手すぎて、カオスになったクローゼットを前に親を泣かせてしまった私だから、しょうがないという気もするけれど。

 

日々続いている暮らしを変えるということは、それだけ強い動機も必要なのではないか。「何のために、暮らしを整えるのか?」、深く自分に問うてみる。

 

そして、やっと見つけた答え。「自分がやりたいと思っていることを、ちゃんとやりたいから」

 

無駄な時間と労力を使いたくない。

悲しいほど少ない私の脳内のキャパシティを、できるだけやりたいことのために空ける。

メンタルをすり減らさない、体力を奪わない。

 

自分のやりたいことに集中するために。

 

時間が無限にあるとは思っていなくても、有限であると自覚できていなかった自分を恥じる。シンプルに暮らすことは、手段であって目的ではない。どこかで目にしそうなフレーズだけれど、やっとそれが自分の中で腑に落ちた。

 

人生のアクセルを踏むと、いろんなことが回り出す・・・と思う今日この頃。

 

 

ワタクシゴトデスガ

 

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英語学習と家の片付けは似ているかもしれない

表向きは英語学習の方法を指南する動画でも、人生でぶつかる問題全てに通ずる解決のヒントをもらえるものがある。

 


【英語学習大全#1】たった3つのポイントで英語学習を効率的にする方法

 

どちらが英語ができるようになるだろう?

 

A:伸びない理由・できない理由を考えて工夫する

B:考えずに闇雲に学習する

 

圧倒的に伸びるのはAであることは明らか。

 

Aの伸びない理由、できない理由を考えるというのは、ひたすらに自分自身と向き合う作業。現状把握って、思っているよりもかなり重要なのではないかと最近気づいた。

 

Bの「闇雲に」というのは、具体的には「これがいいって言われてるから」という他人目線の理由でやり始めてしまうことだ。売れてるから、誰々がいいって言ってたから、自分が抜けてしまっている理由で進んでいくのは、やはりどこかで失敗してしまうということだ。

 

両者の差は「問題解決能力の差」だという。問題解決能力というのは結局のところ「英語そのもの」を理解しているかということになるようだ。

 

これって、例えば「片付け」にも同じことがいえるし、「適職の選択」にも応用できる考え方なのだと思う。

 

「片付け」でいうと、Aのやり方ならば「なんで自分は片付けられないのか」を徹底的に問うてみることから始める。収納場所の問題なのか、動線の問題なのか、自分の性格に合っているのかどうか、家族構成はどうなのか・・・などなど。そこから問題点をあぶり出して、改善方法を探していく。

 

一方、Bのやり方の典型は「収納本に載ってたから」「有名ブロガーの人がこうやってたから」という理由で、あれやこれや収納グッズを揃えてみたり、片付けルールをマネしてみたり・・・もちろんハマる可能性もゼロではないけれど、やっぱりどこかでうまくいかないことが多いのではないかと思う。

 

「片付け」って何?ってところがズレてしまっていると、きっとうまくいかない。別に私たちは片付けるために生きているわけではない。何のための片付けか。どうして片付けるのか。それが明確になれば、目指すレベルもわかってくるはず・・・なのだ。

 

「英語」も「片付け」もここまでを頭で考えることはできそう。問題はその先。

 

 

とにかく、やる。

 

 

ということ。頭でっかちをいち早く脱却して、実際の行動を積み上げていかないと、目指す場所にはたどり着かない。

 

何となくこうなりたい、だと一生できるようにはならない。

耳に痛い話だけれど、一歩ずつやっていこう。

 

 

ワタクシゴトデスガ

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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走りながら考える

私はいつも思考が先走る。とにかく、頭で思い描いたゴールのようなものをはっきりさせないと落ち着かない。私の経験から構成された脳内で作り出せることなんて、たかが知れているのに。

 

今までの自分で納得できていない部分があるとすれば、同じやり方をやっていてもしょうがないではないか。新たな人格を生きていると思って、勇気を出して違うやり方でやってみる。

 

走りながら行き先を決める。

たくさん考えるのもいいけど、行動する。

 

新しい年齢での1年は、そこを軸にやってみようかと思う。

 

形になるものもあるかもしれないし、ならないかもしれない。でもそれでもいいじゃない、と言える大らかさを持って。ただ、自分に恥じないように積み重ねていきたい。そしてそれをアウトプットできるところまで、いろんな意味で壁を超えたい。

 

ワタクシゴトデスガ

 

小さな春の決意をきいてくださり、ありがとうございました。

 

 

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